KU/KAN賞2008 選評
第2回KU/KAN賞
[文化の垣根を越えたイベント空間の特質性] 山本寛斎
“KANSAI SUPER SHOW”は巨大な空間の場に過剰ともいえるエネルギーが噴出する祭りのようなイベントである。寛斎さんの「日本を元気にする」を旗印に、ニッポンだけでなく、ロシア、ベトナム、インド、インドネシアと、地元の人たちを巻き込んで開催された。その強烈さゆえの、ハレーションのように照り返す文化交流である。モダンでストイックなデザイン世界にとっては、彼岸といってもいい過剰さである。
しかし私たちが”KANSAI SUPER SHOW”に対してKU/KAN賞とする理由は、このようなインベントの問答無用の迫力に圧倒されつつも、今、呼び起こしておきたいと思う空間および空間デザインの、価値の方向性がそこにあったからである。それは、インタビューの際に寛斎さんが思わず口にした「額縁型」ではない「非額縁型」という空間の価値である。寛斎さんは、西洋の額縁型の発想とはまったく違う、障子を開ければそのまま外と連携するような「すべて一緒」の日本の空間を誇りに思うという。「文節」という建築用語が20世紀の空間デザインに大いに流通したが、これは近代の「額縁」であった。そうした空間の限定の所作へ、寛斎さんは真っ向から立ち向かっているのだ。
20世紀を通して、私たちは、空間の判断を形とその操作でやりくりしてきた。見るということは主体から客体への透視図的な一方向性であった。とはいえ、さすがにこうした一方向的な空間把握は「違うんじゃないか」と自覚され、分野をまたがって空間モデルの新たなヒントが放出されている。例えば分子生物学。福岡伸一氏の著書『生物と無生物のあいだ』の分子レベルのタンパク質の話は、「非額縁的」空間モデルとして大変示唆に富んでいる。タンパク質の細胞膜は隔壁という設定は実は正しくない。膜は内外相互に凹凸をつくり、凹と凸が融合して外部がいつの間にか内部であるようなトポロジカルな空間を生成するというのだ。分子の有り様が相補的流動であり、額縁的視界がそもそもないのだと。
“KANSAI SUPER SHOW”はこうした分子の様子を思わせる。すべからく動くこと。絶えざる流動。すべて一緒。そこには体験することによってのみ発生する動作の空間があり、「非額縁的」のインテンションがある。寛斎さんの根底にはファッションがある。「装う」という表現を使って、安土・桃山時代以来、日本人に染み付いたDNA、わびさびと対極にある婆娑羅の精神を増幅させているように思える。寛斎さんのそうした精神性が、空間に現象する身体性と時間性の流動、つまり「非額縁的」の具現を呼び起こした。今回のKU/KAN賞の選定は、そのことの共感によるものである。
空間デザイン機構理事長 飯島直樹
年鑑日本の空間デザイン2009 / 六耀社