KU/KAN賞2012 選評/選考経過
第6回KU/KAN賞
コム デ ギャルソンの空間デザイン
[川久保玲の所作]
<服> 服の発見。
2012年のコムデギャルソン秋のコレクションはフェルトを貼り合わせたフラットな平面の服である。身体の凸凹を無視したペチャンコな紙袋のようなデザインが際立つ。しかしこの平たい面は着衣した瞬間豹変する。芯の強いフェルトが平面であることを一気に振り払い、衣服のまわりで空気が跳躍するのである。こうした跳躍はコムデギャルソンの服に何度も現れる。1996年に発表された「BODY MEETS DRESS・DRESS MEETS BODY」(通称こぶドレス)もそう。いびつに膨らんだ衣服を介して、人はその身体を跳躍させるかに見える。空気はポヨヨンと跳ね返る。服が特別な次元を発見するかのようだ。
<着想> 根源からの着想。
1985年、吉本隆明は川久保玲のファッションショーを見て衝撃を受け「ファッション論」を書いている。ものすごく難解で、ファッションの解説ではなく解析のような論考だ。「西欧のファッションのメッカに、模倣でもなければ、民族的ファッションからくるエキゾチズムでもないある根源から着想された」ものとして、川久保玲の服を外科医のように測定する。こんなファッション論は今まであったのだろうか。ファッションに付帯するアトモスフィア(「らしさ」とか「モード」)を封じこみ、衣服の仕組みに入り込む。その上で身体と衣服のカタストロフ点(分岐線)に注目し、型紙の部位や配色の分析からファッションデザインの像(イメージ)価値の測度を読み解く、という破格のものだ。吉本隆明は2012年に逝去した。雑誌「現代思想」の追悼特集で、建築家の磯崎新はこのファッション論について、「身体と衣服の接触のしかたに論をしぼりこまれている。ここにデザイナーが全力集中していることを承知されているのです。川久保玲の手つきがみえてきます。、、、」と脱帽し、この論を吉本隆明全著作のトップに推している。衣服と身体の純粋なクリエーション、それはコムデギャルソンが放出するすべての表現の原点なのだ。
<手つき> すべてにゆき渡る表現。
1981年のパリコレを震撼させたアシンメトリーで、ボロボロで、穴だらけの服。これもアトリエの人台に向き合い布をまとわりつかせ、身体と衣服の接触のしかたに全力を集中した結果であったろう。そうした着想は以後ずっとコムデギャルソンに通底する。1996年のポヨヨンと跳ね返る服も、2012年の空気が跳躍するフラットなフェルトの服も、おそらく着想の原点は変わらない。43年の絶えざる更新と通底。無言の人台と布の間の硬質な空気。そこに服を出現させる手つき。コムデギャルソン=川久保玲が表現するすべてにはこの手つきの痕跡がある。服、マーチャンダイジング、ブランドの伝達メディア、そしてほかならぬ空間デザインにおいても。
<空間> 常識の遠方。
コムデギャルソンの店舗は1975年のタイルで覆われた最初の店(フロムファースト)以来、空白を囲い込むAXISのローブドシャンブル、銀座松屋の「モルタルの祠」、ミラノ、パリ、ニューヨークの硬質で乾いた設営空間、百貨店の平場規制を反転する小店舗群、日々生成する青山フラッグシップショップ、写真が横溢する神戸店、CdGの擬態化ゲリラストア、そしてドーバーストリートマーケットのブリコラージュに至るまで、どれひとつとして同じものがない。計画に参加するデザイナーやアーチストも様々だ。共通する観点はオルタナティブ。店舗デザインやVMDの常識の遠方にあリ続けること。そしてすべてが川久保玲の手つき、つまり空間と身体の接触の仕方にそれこそ全力で集中していることだ(棚の厚さに至るまで手つきは及ぶという)。空間の仕組みへの立ち向かいが根底にあり、ここでも「らしさ」や「スタイル」は立ち入りようがない。しかし全力で集中する結果、コムデギャルソンの空間は「別格のスタイル」を招き寄せる。
<反解釈> 待庵みたいな。
千利休の僅か二畳の茶室<待庵>と川久保玲の空間への手つきを並べるなんて無茶苦茶だ。でも茶はおのずと無茶苦茶を内包しているので構わないのかもしれない。藤森照信の「茶室学」によると、国宝の茶室<待庵>は寄せ集めなんだそうだ。侍(秀吉)が死ぬか生きるかの戦場で言わば気を充填させるため、利休に無茶を言って強引に作らせたらしい。小さな阿弥陀堂を流用した仮設チープ茶室が<待庵>の元である、と藤森氏は観察する。氏の観察には路上観察以来の年期が入っているのだ。問題は利休のその際の手つきである。近所から雨戸を持ち込み、既存お堂の一部拝借のしつらいゆえ、天井は変に凸凹、工期もなく土壁は床天井まで塗り込みボロを隠す、それでなくとも狭いお堂の一部をエイヤッと囲み二畳を得る。そうしてそこに「わび」の世界観を放り込んだ。「全力の集中」「形式の覚醒と解体」「気の空間の配備」「貧乏臭さ」「反解釈」(ほとんどが禅もしくは路上観察学会用語)を潜ませたのである。一方川久保玲の手つきが提示した店舗空間はこんな具合だ。デパートという現代の戦場で、普通表には露出しないモルタルを床と言わず壁天井まで塗り込み、照明は工場の水銀灯。棚なんかもざらざらした安っぽい木板。これが1982年の銀座松屋の「モルタルの祠」だった。店舗は都市の間借り人だから<待庵>の仮設の事情に似ている。銀座松屋トリココムデギャルソンの空間はデパートの一階なのにチープなことの「全力の集中」、売り場の「VMD形式の覚醒と解体」、そして「お店らしさ」の「反解釈」が反語的に発動したのだった。近々ではドーバーストリートマーケットの混沌。しかしこれはコムデギャルソンの計算ずくの混沌であり、グローバルなマーケットとマーチャンダイズの新しい神話に向けたブリコラージュといってよい。混沌でありながら「敏感と細心が隠されている」ところも、やはり<待庵>に似ている。少々大げさな物言いになったが、こうした次第は、デザインの手法の範疇を超えている。クリエーションにおける「川久保玲の所作」といって良いのかも知れない。
<選考> 川久保玲の所作
2012年第六回の空間賞は推薦過程で7人がノミネートされ、選考協議の初期段階で川久保玲への推挙が決まった。選考委員の総意だった。ただしその後が大変だった。「手強い」のだった。選考の間、あらためて資料をあたり、コムデギャルソンの現場を歩いた。そして途方に暮れた。感覚の覚醒、反抗と混沌が「根源からの着想」を43年にわたり更新し、それらが社員600人の企業で起動する。奇跡のようだ。
贈賞は、狭義の空間デザイン、店舗デザインではなく、服を含めたコムデギャルソンのすべての表現の基底にある「川久保玲の所作」を対象とした。実現した空間デザインの評価にも増して、私たちは、ゼロの根源から着想されてきた川久保玲の表現の「ふるまい」に最も心を動かされたからである。
今回の贈賞の目的は、コムデギャルソンの空間デザインを、20世紀後半から21世紀にかけての日本の空間デザインの資産として今記憶し、そしてその根源からの着想を次の時代に伝え、接続することにある。
空間デザイン機構代表理事・KU/KAN賞選考委員
飯島直樹
年鑑日本の空間デザイン2013 / 六耀社