- アプローチ
建売住宅の門から玄関までの三メートルくらいの通路を、建売業界ではアプローチという。
すごくセコイ。
しかしアプローチという空間仕様に対する期待が込められている。本来の住宅をより以上に引き立てる不可欠な脇役なのである。
ところで、アプローチという空間のあり方には、脇役なのだが、空間デザインにとって非常に重要な側面がある。アプローチはその存在理由が動線にあり、移動することで成り立つ空間である。つまり空間に時間を引きずり込む。そのことが、なぜ重要なのか。移動し動くことが空間デザインの主題になることが、デザインの方法の新しい視点になり得るからだ。現代の空間の多くは形の操作による透視図的な空間である。そこからの脱却。動き回るときの多重の視線と身体経験によってつくられるシークエンスとしての空間の可能性。そんな、未開発の領域を、アプローチは内在させ得るのである。
倉俣史郎の「クラブジャド」は1969年の作品であるが、そうした非透視図的空間の可能性にいどんだ仕事として記憶されるべき仕事でもある。この小さなナイトクラブがつくりあげたものは、現在でも古びるどころか、むしろ大きな可能性として屹立しているといっても過言ではない。細長く折れ曲がったアプローチを介してホールに至るまでが、ステンレスパイプのヌラヌラとした非在性の中で泳ぐような空間となっている。単一性=ワンネスの中にアプローチはフォルムではなく、知覚の強弱としてたちあらわれる。
残念ながら、私はこの店を実見するのにギリギリ遅れてきた世代だ。
よって想像するしかないのだが、「クラブジャド」の知覚する意識だけが残存するような非透視図的空間の生々しさを、現在でもなお、インテリアデザインの大きな到達点と感じる。
「六甲の協会」のアプローチは礼拝堂へ導くガラスの筒である。協会建築の礼拝堂をとりまく回廊の役割を果たすものとして計画されている。コンクリートの量塊に差し込む静謐な光へと歩み寄る光のチューブなのだが、光の質が全く異なる。実際に体験するとわかるのだが、この建築は美しい形以上に光の知覚の強弱が圧倒的で、長いアプローチが引きずり込む時間とともに見えない主題となっている。一分のスキもないように見える形が光と時間の中に溶解する。
「寿し長」「雪月花」はともに和食店である。したがってそこで試みられたアプローチの手法は日本的特徴をあらわしている。たとえば、茶室に導く庭は、日本の空間におけるアプローチとして、このふたつの空間のような現代のデザインにもさまざまに参照されている。ここでも空間の主題は「間」であり、時間であり、移動する際の身体経験が生成する何事かなのである。昔の日本の茶人はしたたかなアプローチのデザイナーだったのだ。
インテリアデザイン / 空間の関係・イメージ・要素 / 六耀社 / 2003.01