- インタビュー後記
内田繁
手法ではなく、まして技術的な経験の積み重ねの結果でもなく、物事の見方の所信表明に近いから、内田繁の「関係の先行性」は頑なである。ポストモダンが目前を横切ろうが、それはたかだか流行か、新奇な手法か、よくてそれらを取り巻くイデオロギッシュな言説であったから、もともと「関係の先行性」とは位相を異にしているのである。だからかたくなといっても、肩肘を張ったものではなく、内田の動作の癖そのままに、椅子の上に正座していればよかったのである。あるいはコタツの中で同様に坐していればよかったのであろう。
「見えない空間」なる空間把握は内田繁個人の産物でも所有物でもない。1960年代末期の日本のインテリアデザインに、さらに言えば今世紀初頭のアヴァンギャルド達に胚芽した、「二十世紀的」なものである。その限りでは、内田繁がモダニストたることを否定する必要はないだろう。むしろ問題は、内田が自分自身に課しているように、経過的措置としての「関係の先行性」の行方であって、それは、ことインテリアデザインに限らないさまざまなジャンルに跨った課題なのだと思う。
北原進
形態は機能に従うなどというと、最早、古めかしいと思える程(とりわけインテリアデザインにおいては)形態がひとり歩きし、機能が荒唐無稽に身を投じかねない景観に囲まれていて、それはそれで存外たのしくもあったりするのだが、原宿のような舞台と化した街ならともかく、ホテルやオフィスの空間をあずかる人たちにとっては余りたのしいことではない。一般的な快適さの中の、レベルの高い空間が当然求められる。
こうした不特定多数の人々の所作に適応するホテルやオフィスの内部空間作りが仕事のスタートであった北原進は日本のインテリアデザイナーの中では特異な位置を占める作家である。さまざまな公共的空間に向かい合う北原が特異になってしまうことは、逆に言えば、それだけインテリアデザインの仕事の領域が狭い間口に偏向していることの証でもある。たとえばファッションのショップ・デザイン等は仕事量の増大にも関わらず差異化の果ての奇妙な一様化を招いてしまっている。
そんな一種の閉塞状況の中で、北原進の仕事は、色々なデザイン手法を用いながら健康である。軽々と色彩をこなし、形態を駆使しながら、健全であるように見える。私の好みで言えば、初期の仕事のボウリング場(ラパンボール)。造形がトリッキーの一歩手前で合理性に裏付けられ、そのどうだといわんばかりのダイナミックな強度からは、北原進の健康な高笑いが聞こえてくるようだ。
SD[内部からの風景]の編集に参加、
ふたりのインテリアデザイナーにインタビューした。その後記。
/1986.05