<身体の付近の出来事―資生堂パーラー ザ・ハラジュク>
―ズントーのウマ目地―
浦一也さんは、海外の建築行脚仲間のお一人である。ピーター・ズントーやジェフリー・バワなどを見尽くすために、バス貸切の強行軍旅行でご一緒するのだが、楽しみは朝の食事時。前夜の部屋の実測スケッチの生原稿を見せてくれるからだ。TOTO通信に長年連載するスケッチ入りコラムの元となるもので、印刷されたスケッチに比べ、はっとするほど色が鮮やかで驚いた。ピーター・ズントーの旅は、2005年に完成した「野の礼拝堂」を見るのが目的で10名ほどのツアーだった。厳寒のドイツの野っ原にスッと建つ小さな礼拝堂の前で思わず涙した、と浦さんは同コラムで告白しているが、しかし一緒にいた我々も皆無言で同じ気持ちだったのである。そんな旅の途中、ズントーが手がけたケルン市内の聖コロンバ教会美術館の静謐なロビーの中で、浦さんがふとこう言ったのである。
「イイジマさん、ズントーはウマだね」
壁や床など建物の材料につきまとう目地は自然界には無いもので人間の都合なのだが、その形状がズントー建築は全て縦目地が交互にずれるウマ目地なのだった。目地がグリッド格子のイモ目地は一つもない(因みに磯崎新の建築は全てがイモ目地らしく興味深い)。この時浦さんの指摘にそう言われてみればその通りと思ったけれど、これはなんだかずっと尾を引いた。ズントーのウマ目地は、我々が従事するインテリアデザインということの観点に引っかかる様にも思えたからだ。
―調度としてのインテリアデザインー
日本のインテリアデザインは、1960年くらいからの歴史に過ぎない。それまで室内装飾はベレー帽をかぶった絵描き崩れの余技だったが、60年代末の倉俣史朗をはじめとするデザイナー達によってハイデザインの様相をまとい、日本のインテリアデザインは国内外で注目された。しかしそのハイデザインが置き去りにしたインテリアデザインの観点があった。それは空間デザインというような大上段なものではなく、もっとチマチマした<身体の付近の出来事>としてのインテリアデザインという観点だ。身体が感じ取り作り出す、色や素材の按配、置かれる家具や什器の結構、物質のように感じる光、そのような現象を誘いだす<調度>としてのインテリアデザインのあり様だ。 浦さんがズントーの美術館でウマ目地を指摘したのは、ズントーの建築がミニマルで現代の最先端でありつつも、経験的には<身体の付近の出来事>の気配があり、どうでも良いかもしれない目地にその気配が濃厚に漂っていたからのように思える。つまりズントーはミニマルな調度の世界、インテリアっぽいよねと言外に言っていたのかも知れない。―身体の付近の出来事としての空間―
新しくできた、浦さんのデザインによる資生堂パーラー ザ・ハラジュクを拝見した。原宿駅前に新築されたWITH HARAJUKUは下層階の商業施設と上層階のアパートメントが組み合わされた斬新な建築で、資生堂パーラーはアパートメントに包まれる様にして8階に独立出店する老舗洋食レストランである。エレベーターで8階に上がると、高い天井からの間接光によって色めく黄色(テレージアンイエローを思わせる)のエントランスに迎え入れられる。店内に向かうと今度は薄いピンク色スタッコ壁のラウンジ席で、青山方面を一望する窓際のカウンターは様々な無垢の木がコラージュされ、そこに艶やかなタピストリーが合流するのでまるで絵の具のパレットのようだ。ラウンジを前に進んで突き当たりの再生ガラスをアッセンブルした光壁を左に折れると、通路で床がせり上がる。と、その上階は明治神宮の巨大な森を抱きかかえるような空間、鮮やかな青と深い緑で彩られたダイニングが待ち受けると言った具合なのだ。微細な色調を艶かしい素材が演じるシークエンスの空間。「浦さん、これってウマだよね」と言いたくなった。