- 新宿髙島屋[環境リノベーション] | Shinjuku Takashimaya <2007>
新宿髙島屋[環境リノベーション]
2007
用途 /百貨店共用部環境計画
所在地/東京都渋谷区千駄ヶ谷
面積 /8500㎡
アートワーク/はやしまりこ
- シークエンス
私は、デパートというのは映画に似ていると思う。映画は刻々の時間で分断されたカッ
トがつながってシークエンスをつくり、持続する時間、運動の空間=映画となる。デパー
トはあらゆる商品がバラバラの情報発信をしながら、カットのような場面を生み、それが
つながってシークエンス(デパ地下のような状況)を生む。デパートはそんなシークエンスの
総合なので、1本の映画といっていい。デパートに行く楽しみは、映画を見に行く楽しみ
に似ているのだ。
とはいえ、映画に出来不出来があるように「デパート=映画」にも出来不出来がある。
デパートという現象の第一義は商品の力にあるが、それをつなげてシークエンスにする
ためには、空間の力が必要になってくる。ところが、やっかいなのは、商品と親密な関係
を結ぶ空間のシークエンスの大きさは、せいぜい10mくらいということにある。その先
に拡がる空間は、気持ち的には、ピンボケといっていいのが、デパートという映画的空
間の特徴なのである。したがって、デパートの場合、大きな空間は良し悪しを伴うアンビ
バレントな存在といえる。大きいことは、いいことばかりではないのだ。
新宿島屋は大きなデパートである。しかも細長い。奥の方は文字通りピンボケになる。
とくに1階と2階はそれぞれ6mと5mの天井高を有する巨大な内部空間で、加えて中央
にエスカレーターシャフトが我が者顔に居座るので、つながりかけたシークエンスがフィ
ルムが切断するように切れてしまう、といった状況だった。
今回の改装は、商品との親密な関係をつくる10mの空間=売り場の改装のみならず、こ
のような新宿店の構造的な問題(大きいことによるデパートの抽象化)を解決することにあっ
た。そして島屋という映画を可視化すること。
私の役割はシークエンスをつくることだった。巨大な容器の分割。高低差をつけて起伏
する天井。そのようにして得られる中小空間を、シークエンスとして感得できるような部
屋の集合とすること。つまり、デパートの空間の実質=10mの空間というカットをつなげ、
シークエンスをつくり、デパートを1本の映画にすることであった。
デパートがおもしろいという。しかし私は職業病故に、空間の側面でおもしろい、と思っ
てしまう。そしてそのおもしろさを映画にたとえたが、それは動くことのおもしろさなのか
もしれない。デパートでは、人はひたすら動く。デパートというのは運動の空間として記憶
されるべきなのだ。