iij_logo

- Works

- Restaurant



- ARAI <1986>

ARAI
1986
用途 /和食店
所在地/東京都港区赤坂
面積 /99㎡
グラフィック/佐村憲一

- 鉄
20世紀初頭の言語表現にあらわれたのとほぼ時を同じくして、造形言語における純粋に自己言及的な試みがいくつかの動向をもったけれども、それらが等しく抽象の表現を採ったことはよく知られている。 抽象表現は、マレーヴィッチのような自己言及の果ての透明性に行きつく一方で、表裏をなすようなかたちで、非抽象とでもいうべき構造や形式の不透明な表現を胚胎した。 この形式の極北に屹立する、とぎすまされた美しさと、形式の不透明で欲動的な美しさとを同時極在させること。このころの僕の一身上の都合である。 このころというのは1986年。そんな気分をそのまま形にしたのが、このARAI。鉄でつくられた和食店である。


review

ARAI「春の海をわたる声」
青木淳

「ペリアスとメリザント」を作曲するにあたって、ドビュッシーは、あるひとつのフレーズ「あなたの声は春の海をわたってくるようだ」から始めた。そうして「あなた」つまりヒロイン・メリザントが、この二時間もの間、殆んど変化のない音楽が続くオペラで発する声とは、未だ歌にならない溜息ばかりである。また全部で十五あるシーンのうち、はっきりと夕ぐれもしくは夜と指示されているのが十、城の中の暗がりの場面がその他に三つ、合計十三もの場面が光によって色彩や形が明確に浮かびあがらない空間で進行する。それは歌、色彩、形、時間の未分の世界である。

僕には、この世紀末の音楽家の目に見え、耳に聞こえていたこうした太古の世界への憧れと同質のものが、飯島直樹のこの作品にもあるように見える。例えば、銀色に鈍く光る円とそこから放射するやはり銀色のパイプの束。それは、この空間にあって唯一の具象であって、ドビュッシーが生涯そこに毎々帰ってきた「月光」が、ここでもイメージの中核にあることをはっきりと語っている。それに照明の効果。かなり暗い中に、様々な幅をもつ光束と様々な角度からの光が投射され、壁、床、テーブルには細やかな陰影の処理というパターンが生まれる。それは、まるで、深い森の樹木の間に淡い月の光が差し込むようである。しかも、こういった薄明の中は、乱反射する銀色のモノトーン、というよりも、この巧妙な照明のために、人に色彩が見えないという印象を与えている。ここでは、色彩が消去されたのでも還元されたのでもない。ちょうど始発電車のために最初の踏切が降りる時、露のかかったガラスごしに生まれたばかりの信号の赤色を見るように、これは色彩の生まれるのを待っているモノトーンなのである。ストイックな色彩の限定とは逆の、色彩の融解あついは甘美な抱擁の中の子守唄のリフレイン、月の光の誘惑なのである。

この未分のまどろみは、しかし、何も色彩に限った話ではない。むしろ、ここでの形のさりげなくまた危なげない取り扱い方は、一般に思われているように熟練し、手慣れた手法ゆえの落ち着きというのではなくて、形の未分状態に到るための意識的な操作であるように思われる。そして、それが最も成功しているのが、壁とそれを支えるように暗示するトラスの微妙な関係だろう。つまり、壁は余りに薄く、トラスは余りにゴツイのである。また、トラスは律儀にも同じ大きさのパイプだけで作られていて、力の流れ、ヒエラルキーを感じさせない。一言で言えば、支えられるもの/支えるものという作為の関係を暗示しながらも、それを打ち消し、さりげなく見せているのである。同じことは、パッチワークのように、ビスで貼られた壁についてもあてはまり、余りに目地が通っているものだから、そこには貼るという行為が見えてこない。

この「不徹底さ」は、彼と(彼が独立した)スーパーポテトとの距離を見れば、もっとはっきりするかもしれない。スーパーポテトの場合なら、益々、包む、貼る、ちりばめるといった人間の能動的な行為の側が強調されているからである。スーパーポテトが明確に意味を伝達しようとして、言葉と物すき間を埋めて両者が手をとりあっているのに対し、飯島直樹の場合は、物は言葉を裏切り、言葉によって意味付けられ支配される直前の状態にとどまろうとする。白日の下にさらされ、敵と味方、能動と受動の関係が決定的になる以前の、まだ言葉が生まれる以前の、月の光しか浴びていないそれぞれの形がなんとなく調和しているまどろみなのである。いまだ切り分けられていない未分の混沌へのこうした遡及は、ワーグナーの影響が絶大な時代にもうひとつの音楽を独力で作りあげることのできたドビュッシーにとってそうであったように、失われた物に対する懐古なのではなく、既に得てしまったものに対する裁量と同時的である。僕達が無意識のうちに引き継いでしまっているものの方が問題なのである。そしてそのトートロジーの枠外にある世界への逃亡という潜在的な欲望、またそれを誘う春の海をわたってくる声、そういうこの時代の通奏低音をこの作品は素敵なかたちで暗喩しているのである。

[ICON VOL.1 1986.09]

有限会社 飯島直樹デザイン室
Copyright IIJIMA DESIGN. All rights reserved.